言いたい放題!気まぐれ日記 その4(平成19年11月4日~ )
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134.2008年11月10日(月)
 江原啓之・茂木健一郎・奥田瑛二・林真理子

今回のタイトル「人間動物園へ行こう」


昨年の対談をまとめた本
「偶有性幸福論」発行・ぴあ株式会社
昨日、名古屋国際会議場白鳥ホールにて、「エンジン01文化戦略会議 オープンカレッジinなごや」が開催され、クロージングPART2「ナゴヤかなナゴヤへ」というタイトルで、江原啓之さん(スピリチュアルカウンセラー)・茂木健一郎さん(脳科学者)・奥田瑛二さん(映画監督・俳優)・林真理子さん(作家)の4人が対談しました。この対談を見に行ったということです。
 まず「エンジン01文化戦略会議」については、異分野の専門家が自由にな意思を以って集まり、相互に学びあい、新時代の文化えお創造していることを目的とし、この目的を果たすための活動を行うetcとあります。詳しくはこちらをご覧下さい。

 この大会が、名古屋で4日間開催されていて、最終日の最後に、今回の対談が組まれたということです。入場料が500円ということもあり、会場には、江原さん目当ての人たちも含め1300名定員の会場が満員となりました。
対談は、奥田瑛二さんが進行役となり進められ、TVでは言えないような内容も、茂木健一郎さんはどんどん言っていました。
対談の内容をすべてご紹介できませんが、2~3紹介します。
まず、江原さんは、今年の出来事を昨年、予想していたことと同時に、来年は、「怒」がテーマになるとのことです。今まで、積み上げられたきたことが、怒りとなって表れる云々と言われていました。
 茂木さんは、子供が勉強しない、出来ないという親の質問に対し(会場で質疑があった訳ではありません)、「それは、勉強をしている子供の姿を見せていないからだ」ということです。
さらに、「完成された姿や結果だけで判断したりするのではなく、実際に苦労している姿、プロセスを見せることで、その判断は変わり大切なこと」と、林さんも同じようなことを言っていました。
 そして、共通していえることは、前向きな考えを積極的にすることの大切さ語っていました。1時間30分の対談でしたが、笑いも多くあり普段では聞けないような、楽しい意義ある対談でした。

なんと言っても、脳科学者が、スピリチュアルな世界の人と会話すること、大衆の面前で話し合うこと自体が考えられないことのようです。(私は抵抗ないのですが)スピリチュアルを否定する立場の人からすれば非難中傷の標的です。しかし、茂木さんご自身が言っておられたのは「人格を尊ぶのであり、誰にも思想・考えは違う。思想や考えが違うからと言って、相手の人格まで否定するのは、それこそ狭い了見である」ということです。

たしかに、それぞれの専門はありますが、自分の考えが一番正しいと思っている内は、他の分野や世界を受け入れようとしません。しかし、本当に自分の考えに自信を持っているならば、誰とでも会話ができることこそ真実です。
宗教の世界でも同じですが、どの世界でも同じであるとうなずけました。

尚、昨年の対談が本になっていました「偶有性幸福論・ぴあ株式会社発行」 

今回は、洋服での江原さんでしたが、想像以上に太っていました。でもいいんではないでしょうか。
133.2008年11月3日(月)
 お会式と七五三

本堂内を、お花で飾ります。
今より727年前の10月13日に日蓮大聖人は入滅されました。先月(№132の日記で紹介)は、ご入滅の聖地である、東京池上本門寺へ参詣することができました。
 法筵寺では、毎年11月の第1日曜日に「日蓮大聖人ご入滅報恩お会式法要」を営んでおり、本年も、昨日、営みました。本年は、先月の団参に参加された檀信徒も方もおられましたので、そういう意味では、例年よりもお会式を身近に感じて頂いたと思います。準備の段階でも、本堂内に飾るお花を作ったりと、一層の報恩感謝を込めて営むことができました。
法要に引き続いては、市内の情妙寺副住職の林教仁上人の記念法話が行われ、皆さんも多くのことを学び聴聞されていました。
 尚、お会式にお花を飾るのは、日蓮大聖人が亡くなられた時、庭に時ならぬ桜の花が咲いたという故事に習い、古来から供物として行われてきました。

午後からは七五三参りが行われました。
132.2008年10月14日(火)
 池上のお会式・万灯行列

本門寺境内にて。色とりどりの万灯を作り、
マトイを振りながら奉納していきます。

12日・13日と、名古屋宗務所主催の団参が開催されました。
今年は、日蓮大聖人のご入滅の聖地である本門寺(東京都大田区池上)で営まれる、お会式の万灯行列の見学を兼ねて参拝を計画しました。
 日蓮大聖人は、弘安5年10月13日、61歳で生涯を閉じられますが、それまでは、現在の日蓮宗総本山である身延山久遠寺(山梨県)周辺で九ヶ年間住まわれていました。晩年、体調を崩されて常陸の国(茨城県)へ湯治に向かわれる途中、池上にてご入滅されます。
 現在の池上本門寺は、ご入滅された後に建立された寺ですが、実際に亡くなられた場所は、本門寺より西に下った所に檀越であった池上宗仲のお屋敷でした。今は、大坊本行寺というお寺になっています。大聖人が寄り掛かられてお話をされ、又、亡くなられた「ご臨終の間」「お寄り掛かりの柱」があります。その柱の一部を直接触れることもできます。
余談ですが、私は大学生の時、2年弱ですが、このお寺にお世話になり、毎朝、お寄り掛かりの柱の面前で朝勤させて頂きました。

 日蓮宗では、日蓮大聖人のご入滅の日をお会式と呼び、特に池上本門寺では、12日の夜、近在の寺院や講中が、万灯行列〈日蓮大聖人が亡くならた時、時ならぬ桜の花が咲いたとして、その桜を擬した万灯飾りを作り、太鼓や笛、鐘で独特なリズムを奏でて奉納します〉が華やかに繰り出します。昔から江戸の三大祭りの一つとして数えられるくらい有名な祭りとして伝えられ、毎年、数十万人の人が参詣されます。

 万灯行列を中心に参拝しましたが、さすがに大勢の人が詰めかけており、かなり厳重な警察官の警備もありましたが、このくらいしないと整理できないと実感しました。
万灯行列は、近在の各寺院で作られた万灯講が、午後6時半頃から11時頃まで延々に続いたそうです(私たちは、途中で帰りました。長男が大堂内で警備をしていましたので後で聞きました)

 法筵寺から団参に参加された方も、一様に感激されたようで、自分でも叩いてみたいという方もいましたが、練習する場所など、多くの課題がありますので、これだけは簡単にできません。しかし、こうして、700年以上も続けらてきたお会式の行事を、これからも守り続けていってほしいと思いました。
 尚、法筵寺のお会式法要は、11月2日に行います。今回参加された方が、せめても、お会式の花(本堂内を飾る桜)を作りましょうということになり、準備を進めていきます。
どなたでもご参詣できますので、ぜひ、お待ちしています。

法筵寺からの参加者の皆さん。
大坊本行寺境内にて。
131.2008年10月11日(土)
 地鎮祭

棟札・大黒柱に安泰を願い安置します。
本日は、昨夜からの雨も上がり、午前10時より、檀家総代のO家の地鎮祭(じちんさい)が営まれました。地祭(じまつり)とも言います。まず、地鎮祭と言えば、神主さんが行うものだと決めている人がほとんどです。「えっ~お坊さんも行うの?」と言われてしまいます。しかし、日蓮宗では法要儀式に地鎮祭のことが示されていますし、特に大荒行堂で修行を終えた僧侶は大体行います。

地鎮祭を行う意味ですが、日蓮宗事典ではこのようにあります。


     ┌現加持に当って土地に付く迷霊を供養する。

  ┌地祭┤
  │  └土地に付く邪気を除くための払い供養。
地祭┤
  └地鎮祭─地祭ともいう。土地の上に建物を建てることを
          前提としたもので、その土地の邪気退散と
          吉祥清浄を祈念する。


いわゆる、住まいや工場、店舗を建てるにあたり、土地を守護されている神々様に、これから、この土地に世話になりますので、よろしくお願いします。同時に、この土地に関わる様々な生き物にも迷惑をかけます。又、この土地で古くから関わってきた思い(霊)を供養し清浄にするという願いを込め行う法要のことです。

以前、椿大社・猿田彦大神(三重県松坂市)の宮司様と、ある大手内装業者社長宅を建立するに当たり、ご一緒したことがあります。
その時、私たち日蓮宗僧侶による地鎮祭を先に行って下さいとのことでした。その後、引き続いて宮司様(神道にて)の地鎮祭を行いました。私も後ろで同席していました。
 その後、食事を一緒にということでお話ができました。
宮司様云く、土地の因縁を供養するには唯一、法華経である。と言われ、ご本人も神社内の滝で寒中、毎日、水行を行い法華経を読誦されていたということでした。このことはご本人の著書にも書いてあります。

心配していた雨も上がり、無事、地鎮祭を営むことができました。あとは、業者の方に立派な建物が建つ事を祈ります。 

お天気も良くなり、地鎮祭日和でした。
130.2008年9月25日(木)
 田中照代さん・帰国報告
№128.129でご案内した、田中照代さんが北京パラリンピック大会から帰国され報告に来寺されました。大会の結果はすでにご紹介した通りですが、相変わらずの元気な笑顔で「銅」メダルと賞状を見せて頂きました。

 本日は、午前11時から、ディクシャセッションが本堂で開催していましたが、丁度、1部が終了した時でしたので、参加されていた方も一緒に、メダルを拝見したり手にしたりと、思わぬ出会いに喜んでおられました。

「これで、もう走らないの?」と聞きましたら、「いや、まだまだ走る」ということで、間もなく50歳ということですが、そのやる気と根性には、私たちの方が勇気を頂きました。
これからの活躍をますます応援していきます。

尚、メダルも賞状も中国らしく、石がはめ込んであったり、賞状も単なる紙ではなく、布地の様なデザインで、しっかりしていました。又、賞状は、200mは4位でしたので入賞の分もありました。 

129.2008年9月17日(水)
 田中照代選手「銅」獲得 

左が田中選手(3位21秒33)
右は八巻選手(2位21秒00)
前の日記で紹介した田中照代さんが、堂々の「銅メダル」を獲得されました。9月5日から17日まで開催されている北京パラリンピックでの快挙です。
中日新聞(9月17日朝刊)から紹介します。

 
来年50歳を迎える元女王が、2大会ぶるの大舞台で復活劇を見せた。
陸上女子車いす100m銅メダルの田中照代(49)=名古屋市北区在住、岐阜県土岐市出身。「この年でメダルを取れただけでもえらい、か」と少しだけ照れた。
「これが本当の私」という抜群のスタートも、車輪のこぎ方が浅く、後半は伸びなかった。アトランタとシドニーで金銀計4個を取ったベテランは「納得できる走りではない」とも。照れ笑いは一瞬、変わらぬ強気な性格がすぐに顔をのぞかせた。
 14歳のときに交通事故で首の骨を折り、後遺症で車いす生活に。夫の勧めで20代後半で競技をはじめた。だか、シドニーの後、腕のけがが判明。「もうやめようと弱気になった」。7年間、競技用車いすには乗りもしなかったが、昨年になって「何となく走りたい
な」と北京に照準を向けた。
 この日一緒に走ったのは10歳以上若い10-30代の7人。「年は関係ないと思っている」と強調してきたが、体力を技術で補う走りで結果を出せた。「走れるうちは走りますよ。次(のパラリンピック)も出るとは言えないけど」。そう笑った。


ちなみに、11日に行われた200mでは、3位と0.41秒差で惜しくも4位でした。この100mでは、何が何でもという意気込みで、私も家族もTVでこの結果を見たときは涙が出ました。
彼女の苦労や努力、人生を語るには、私にはまだまだ未熟です。心からお祝いの言葉を贈るしかありません。もちろん、これからも応援していきますが、社会にもっと広く理解されていくことを願っています。

又、応援やこうしてお読み頂いき心にかけて頂いた皆さまにも御礼申し上げます。少しでも心に思うだけで、その想いは通じます。皆さんの力添えがあったこと改めて感謝申し上げます。
ありがとうございました。

9月17日 中日新聞朝刊
128.2008年9月4日(木)
 田中照代選手・パラリピック間もなく

ご祈願後、家族と記念撮影をしました。
以前、ご紹介した名古屋在住の田中照代さんが、明日から始まる北京パラリンピックに出場するに当たり、出発前日に、法筵寺へ安全祈願と必勝祈願に来寺されました。又、合わせて、檀信徒の皆さんからの応援賛助金も贈呈させて頂きました。
オリンピックが閉幕と同時に、地元のNHKや民放、新聞等にも出演されており、以下は、中日新聞の記事からご紹介します。

 アトランタ、シドニーのパラリンピックで金銀4個のメダリストに輝いたベテランが二大会ぶりに戻ってくる。
 陸上の田中照代選手(49)=名古屋市北区=はジトニー後、腕の故障が判明。「もうやめようと弱気になった」。7年間、競技用車いすに乗ることさえなかった。再始動は昨年。「何となく戻りたいな。走りたいな」と。
 復帰後初レースとなった昨年のジャパンパラリンピック。今回出場する100mと200mでいきなり優勝してみせた。だか今年6月、両種目とも一回り若いライバルに負けた。
 昔みたいに力任せにこいでも勝てない。我流の練習を見直し、アテネ五輪で陸上のトレーナーを務めた大井和夫さん(43)に指導を仰ぎ技術を磨いた。
 「若い人には負けたくない。年は関係ないと思っている」と強気だ。大井さんは「この年齢でなぜここまでできるのか。そんな視点で見てほしい」と技巧派に生まれ変わった走りに目を細めている。 以上

田中さんは、本来800mが得意で、世界タイム保持者でもあり、今までにも多くの大会に出場されてきました。現在は、ルールが変わり長距離はありませんので、短距離で出場とのことです。

若い頃に事故に遭われ、足が不自由になられましたが、持前の不屈の精神で乗り越えられ、途中、両腕の手術も受けられ、ある時には手術中に危険な状態になり本堂で祈願したこともあります。
今回は、久々の大舞台ですが、持てる力を精一杯出して頂けるよう健闘を祈るばかりです。

もし、ご覧になられましたら、応援よろしくお願いします。 

9月3日朝刊 中日新聞・県民版
127.2008年8月25日(月)
 第31回七面山登詣団参

登山前、表参道の門の前にて。元気な顔です。
今年も、8月23~24日の1泊2日で、七面山の登詣団参を開催しました。今年は、身延山参拝の方(3名)と、東京からの参加(8名)を含め、計42名の参加がありました。その内、初めての方が6名おられました。

すでに出発から、名古屋は雨が降り始めた天候でしたが、登山中は、曇天で山頂近くになり雨となりました。その分、暑さはありませんでしたので、例年に比べ登りやすかったです。
今回の雨は、七面山では久々の恵みの雨と言うことで歓迎されていましたが、私にたちにとっては、少々堪える雨でした。それは、下山の時、今年も裏参道にしましたが、道が狭く、急な斜面も多く、大雨であったため滑りやすく危険でした。

しかし、最大の危機は、参加9割の人が被害にあったことです。実はヤマヒルと呼ばれるヒルの一種に、足や手、お腹を吸われた人もいましたが、血を吸われていたのです。
吸われている最中は、まったく気づきません。下山して、靴を脱ぎ中に何かいると気づき、足をみるとヒルが足に付いています。その時、驚いて払うと、そこから血が予想以上に出ますから、さらに驚きます。雨の中、やっとバスに辿り着いたものの、今度はヒルとの闘いでした。本来は、そのままにしておくと勝手に離れ、血も出ないのですが、慣れないと恐怖になってしまいます。(実際、ヒルによる治療法もあるようですから)

今回は、ご来光も拝むこともできず、雨やヒルにも見舞われましたが、しかし、気分はすごいい気分で皆さんと参詣できました。
七面山は、七面大明神様をお祀りされている霊山です。法筵寺にも勧請(お祀り)されています。1年に一度、ご縁あった方々が集い参詣できることは、とても尊きことと思います。
もちろん、その輪を広げていくことも大切なことですが、今回、参詣された方々は、是非、次回、参詣されるまでに、このご縁を大切に日々の精進をと思います。
皆さん、お疲れ様でした。

ちなみに、5月には、KIの格闘家の魔裟斗(まさと)さんと、女優の矢沢心(やざわしん)さんが登ったそうで、写真とサインがありました。ゴルフャーの諸見里しのぶさんや上田桃子さんも登詣や滝で修行したそうです。

下山後、裏参道の門にて。すがすがしい顔です。
しかし、中にはヒルに攻撃された方はパニックでした。
126.2008年8月14日(木)
 新鮮さと緊張の”開山報恩会”

緊張の中でデビュー
毎年、8月14日は、法筵寺を開創した、私の師匠であり父の命日でもあります。この日は開山上人をはじめ、開基、恩師の報恩法要を営み、合わせて月例供養会を営みました。

今日は、長男が初めて正式なる法要に出座しました。今年4月から、立正大学へ編入と共に、日蓮宗宗立の学寮へ入寮。毎日、法要や読経の練習など、3ヶ月を経て夏休みとなり帰郷していました。この間の成長はいかほどでも試されることにもなりますが、総代さんの見守る中、緊張のデビューでした。
多少のミスはあったものの、3ヶ月間での成果は充分に出ていたと思います。まだまだ、これから実践を重ねていくことですから、それに期待することにして、まずは、本人もホッとしたことと思います。どうやら昨晩はあまり寝れなかったようです。

それ以上に、開山上人や恩師(祖母にあたります)が一番喜んでいると思います。家内の母親も参列していましたの、今日の法要は、総代さんにとっても、違った意味で新鮮であったと思います。
又、今日は、新たに参詣された方も何組かありましたので、その方々にとっても、新鮮ですから、いづれにしても、師匠の私も本人も、いつも参詣されている方も、初めての方も、新鮮、緊張の中での法要が体験できたということであります。

総代さんはじめ、檀信徒の皆様、これからもよろしくお願い致します。

見事な「蓮」の供養がありました。
125.2008年8月4日(月)
 夏休み「親子の集い」

手作りのお守り作り、完成後が、本堂で、皆さんと祈願をしました。
毎年、8月の盛運祈願会の午後は、夏休み「親子の集い」を開催しています。今年も、子供20名、大人30名が参加しました。
午前中は、毎月の盛運祈願会の祈願法要が営まれ、午前、午後を通じて参加された方も大勢おられました。

 午後1時から5時まで、「親子の集い」の行事になります。午後3時までは、日蓮宗名古屋青年会から青年僧侶の方、今年は9名が協力参加して頂け、お話と唱題行、そして、お守り作りが行われました。
 参加者の中には、初めてお寺へ来たという親子もありましたが、神妙に両手を合わせて、唱題する姿を見た時は、とてもいい機会を作れたと思っています。なかなか、普段では、そういう機会はありません。まして、お寺へ足を運ぶことなどありません。仮にあったとしても、葬儀か法事です。それは死者に対しての供養であります。
 しかし、自分自身や子供、家族のために祈るということ。とても大切なことです。幼い頃から、そのような世界に触れることの大切を伝えていくべきと考えています。
 もちろん、初めから真剣になれるはずありませんから、それは徐々に進めていけばいいことで、最初の1歩が、どのような印象であったかであります。楽しかった。又、次も行きたいと言ってくれれば大成功です。
 午後3時からは、境内といっても駐車場ですが、鉄板焼き、やきとり、やきそば、流しそうめん、かき氷など、運転しない人にはビールなどで大いに楽しんで頂きました。子供には水遊びなどもできるようになっているので、猛暑の中、時間を忘れて楽しんでいました。
 最後は、くじ引き、花火と続き、今年も夏休みの思い出を作ってもらいました。
 毎年のことながら、参加される人も変わっていきます。又、お手伝いされる父兄も変わってきます。皆で盛り上がることが大切なことであり、寺院は労苦を惜しまないことだと思います。

 参加された皆さん、お疲れ様でした。又、ありがとうございました。

関連写真集UPしました。

恒例となった、流しそうめん、毎回好評ですが、次回は改良します。
124.2008年7月30日(水)
 「お寺の経済学」講義


東洋経済新報社発行
中島隆信著
定価1500円(税別)
毎年、7月の下旬に、日蓮宗名古屋宗務所主催の夏期講習会を開催しますが、昨年より主催者側として開催することになり、今年は、従来までの同業者(お坊さん)をやめて、慶應義塾大学商学部教授、商学博士の中島隆信先生をお招きし、先生の著書にもある「お寺の経済学」ということで講義をお願いしました。対象は、教師(お坊さん)と寺庭婦人(お寺の奥様)でした。尚、先生は、現在は総理府の統計課にも出向されています。

 講義は、経済学と言っても、お布施の金額とか、お寺は儲かるのかという話ではなく、消費者と事業者としての関係から、お寺の在り方を見ていくというものです。先生は「相撲の経済学」とか「身障者の経済学」などの著書があり、普段、我々があまり考えないような角度からの内容でした。
 覚えている内容の中で要約すると、消費者というのは、檀家や信徒の皆さんであり、事業者はお寺や、その代表である住職となります。この間をつなぐのが市場でありますが、一般的な経済を考えた時、消費者のニーズにどれだけ応えることが出来ているかが優秀な事業者であります。いくら、事業者の方で、いいと思っても、消費者が見向きもしない商品であれば、売れません。経済として成り立ちません。

 現状を顧みたとき、果して、檀信徒の、一般大衆の願うようなサービスを寺院が提供しているかであります。もちろん、商品を売っている訳ではありませんから、その市場には、「教え」や「信仰」であります。

又、営利目的なのか、非営利なのかでありますが、非営利目的であります。そこには、料金提示はされていません。お布施と呼ばれています。本来の寺院の目的は、人々の心の解放です。苦しみや悲しみなどが解放されたことで感謝されます。葬儀なのでも家族の心を癒すことも含まれます。その無形をお布施として納めるということで、非営利目的であるといれるのです。

いずれにしても、今、全国に7万5千もの寺院があります。極端な例で言えばコンビニは4万ですが、果して、どちらが、本当に必要とされているのかということです。どんどんと仏教離れ、宗教離れになっている現状において、消費者のニーズにどれだけ応えているのかであります。

市場原理から言えば、自然淘汰されるのは時間の問題です。必要とされない商品は売れなかったのです。今までは、かろうじて檀家制度が支えてきましたが、これされ、一気に崩壊し始めています。

私自身も一事業者として、考えを改めなければならないと思うのですが、やはり、皆さんに必要される存在にならなければ、いくら有難い教えですと言っても通じません。
これからも寺院、仏教の在り方を問われる講義でした。
しかし、現実として受け止めたお坊さん、奥様は何人いたのでしょうか。それは他人事のように、単なるお話で終わっているような感がありました。
お~い!大丈夫~か。と叫んでも仕方ないのかな・・・・。
123.2008年7月23日(水)
 悪夢・・・

21日の第3試合は、10対0のコールド勝ちでした。
7月にお盆を営まれた方々のご回向も一段落しました。もちろん、8月に営まれる方もおられますから、気分はお盆継続中です。

夏休みに入る前から、高校野球の甲子園出場へ向けて全国各地で予選が行われています。以前、長男がお世話になっていた高校もシード校として参加しています。私はこの高校で、5年間にわたりPTA会長などでお世話になっていたこともあり、地区大会などには、時々観戦に出かけていました。今年も、成績良く、準々決勝まで進みベスト8に入りました。

昨日(22日)いよいよ、ベスト4をかけての試合があり小牧市民球場へ行きました。試合は、互いに点を取りあい中盤までに3対3となりました。
後半、当校が4点を追加し、8回終了時には7対3となりました。あとは守るだけです。球場全体も、ほとんどが当校の勝利という雰囲気です。

しかし、こういうことを悪夢、青天の霹靂と言うのでしょう。
9回表の守りに入ってから、投手の不安定が目立ちはじめ、あっという間に満塁になりました。さらに、内野ゴロで守備のエラーが続き、何と同点になっていました。さらに、悪夢は続き1点を追加され、逆転されてしまったのです。
もう、こうなると、応援団も一気に逆転します。青空の猛暑の中ですが、凍りついたような空気が流れます。ベンチも応援席も、そこだけ黒雲が立ち込めている、そんな状況です。暑さなんて全然感じません。みんな戦意喪失状態です。9回裏の攻撃も簡単に3者凡退で、あっという間のゲームセット・・・・。
あとはご想像にお任せしますが、そういうこともあるということです。もちろん、プロ野球でもありますから、まして高校野球となれば多々あることでしょう。しかし、実際に体感すると、すごくいい勉強になりました。

反面、相手は奇跡の逆転勝利ですから、その喜びは我々と正反対の歓喜でしょう。両方を分かったような感じです。

選手たちやチームも、この経験が次からの試合に生かされ、人生にも生かされていくならば、今回は貴重な体験であったと思います。そして、私にも良き経験をさせてくれました。
今は、日焼けの両腕がひりひりと身にしみります。

8回終了時には、7対3で余裕の応援でした。
しかし、この後に悪夢が・・・・

122.2008年7月7日(月)
 お盆法要
 

特別な供物と祭壇を設けご供養します。
昨日は、午前中、毎月の盛運祈願会が開催され、午後1時からは、盂蘭盆会(お盆)の法要が営まれました。

7月の第1日曜日に行うので、全国的には早い方ですが、長男のお世話になっている学寮のお寺(東京・谷中)でも、昨日がお盆法要を営むようで、話によると2時間以上も正座を覚悟しなくてはということのようです。

私のお寺では、お坊さんは正座ですが、参詣者の皆さんは、エアコンがしっかり効いた本堂でイスに座って頂きながらです。

しかし、肝心なことは、ご先祖様や、亡き方に、どのような思いを届けるかであります。
昨日のお話の一部ですが、
 「誰にでも絶対、ご先祖様はあります。昔から、供養のことは長男が営んでいるからいい。という考えは、二度としないでください。
なぜなら、一人一人に両親があり、先祖があるのです。
 自分の体や意識の中には、ご先祖から綿々と受け継がれたDNAの中に、すべての経験が含まれているので、その影響をいかに受け止めいくか、又、浄化していくのか。そこにご供養する秘密がある(本当はもっと詳しくお話しました)」そんなようなお話をしました。

本堂には、実際には、目に見えなくても、多くのご先祖様や、亡き方がおいでになって、そして親族の方がお焼香されるとご一緒に焼香され、喜んでお帰りになったはずです。
又、今年は、この地域を襲った伊勢湾台風から五十回忌に当たります。合わせて、この地上で亡くなられた多くの方のご供養も申し上げました。

今回は、お檀家さん以外の、学習会やディクシャセッションでご縁を結ばれた方も何組か法要に参加されご供養されました。ご供養された方も喜んでおられます。それは、なんらかの形で教えてもくれます。

今回は、チャンスがなかった方、来月も14日も行いますので、ご連絡を下さい。もちろん、どなたでも構いません。宗派宗教は関係ありません。


それから、丁度1年前に、風鈴とお経のコラボを本堂で行いました。
懐かしいので、もう一度聞いてみたい方は、こちらです。

http://jp.youtube.com/watch?v=52SPCqwmxv0

お塔婆を立てご供養します。
121.2008年7月1日(火)
 再びDVDの紹介
「ミディアム~霊能捜査官アリソン・デュボア~」

5月に佐渡団参の折、購入した「佐渡百合」三輪咲きました。
今年も、半年を過ぎてしまいました。そして、もうお盆を迎えます。名古屋や東京近辺、又、全国の一部の地域では7月にお盆を営みます。元々は7月がお盆の時期で、8月は旧盆となります。しかし、国民の間では、お盆は8月というイメージが定着していますので、無理に変えましょうとは言いません。それよりも、お盆位は、ご先祖様や亡き方へのご供養や感謝を心からお伝えして下さい。今月の「思うまま独り言」にも書きましたので、ご覧下さい。

さて、再び、ご紹介したいDVDがあるので、お知らせします。
今回は、『MEDIM・ミディアム~霊能捜査官アリソン・デュボア~』です。作品の紹介は掲載されたものを引用します。

 実話に基づくミステリー&サスペンス! 1話完結でもハマる「ミディアム」のスピリチュアルワールド! 実在する女性霊能者アリソン・デュボアをモデルに、ヒロインの数奇な日常を描いた犯罪ミステリー「ミディアム~霊能捜査官アリソン・デュボア~」。2005年に全米NBCネットワークで放送が開始され、高視聴率を記録。主演のパトリシア・アークエットは TV界のアカデミー賞と呼ばれるエミー賞で、主演女優賞を受賞した。

本作は、サスペンス・ドラマとして非常にクオリティの高い作品である一方、霊感というスピリチュアルな能力ゆえに、正確を期する犯罪捜査において、自分の能力に疑問を抱いて悩むヒロイン。霊能力を使い過ぎて消耗し、犠牲になる家庭生活。夫とのすれ違いや、仕事と子育ての間で溜まっていくストレス…。根強いブームの“スピリチュアル”な世界から、仕事を持つ既婚女性の悩みまで、共感できるテーマがふんだんに取り入れられているのも魅力的な要素となっている。

とあります。前に紹介した「ゴースト~天国からのささやき」は、霊との直接会話ですが、これは、主に夢という霊能力によっての実話が元になっています。とても、人間的な面もあり、楽しく見ることができ、また、学ぶこともできます。

こうして、目に見えない世界を、さまざまな形で、私たちに分かりやすく届けられています。さらに、深く理解していく、されていく時代かと思います。興味のある方は、いつでもお越し下さい。語り合いましょう。

霊能捜査官アリソン・デュボア役のパトリシア・アークエット(女性)
120.2008年6月17日(火)
 秋葉原 無差別殺傷事件
  8日の日曜日お昼すぎ、とても衝撃的な事件が起きました。東京秋葉原の歩行者天国として
  解放されていた道路に、トラックで突っ込み5人をはね、さらにはナイフで12人を刺すなど、7人を
  死亡させました。
  この事件は、容疑者の身勝手な考え行動により、引き起こされたものですが、事件に遭遇された
  方やご家族の思いに無念はいかばかりかと思います。
  その後、トラックではねられた友人と一緒にいた人の日記が公開され読むことができました。事件
  のことと同時に、その周りにいた人たちの行動も書かれており、この文章は一人でも多くの人に読
  んで頂きたいということですので公開します。
  今日は空の境界を観たあと秋葉原にいった。

  ・・・最悪だった。
   今日は人生で、生涯で一番最悪な日だろう。
   僕は大切な人を二人失いました。
   大学の友達・・・
   こんなにもあっさりと・・・

   今日は行くあてもなく適当に歩いていた。
   緑信号の横断歩道。
   いつも通りのグダグダな雑談。
   どこにでもある平和で普通な話。
   思い出すと涙が止まらない。

   ・・・トラックが自分らに猛スピードで突っ込んできた。
   ・・・ほんの一瞬だった。
   隣にいた友達と俺はぎりぎりでよけて腰の打撲だけで済んだ。
   本当に死線だった。
   すぐ振り返った。
   後ろにいた友達二人が・・・いない。
   ゾッとした。
   震えがとまらなかった。

   その直後発せられた「逃げろ!」
   ナイフを持った男?通り魔?
   意味がわからなかった。
   直後ひかれた友達にすぐさま駆け寄った。
   ・・・立ち尽くした。
   素人でも分かる、重体。
   自分はなにもできなくて
   ただ大声で、何度も何度もそいつの名前を呼んだ。
   やがて応急処置の知識のある人達があつまりだした。
    ・・・すごいなと思った、半面、情けない。

   そんな中
   回りを見回すと カメラ、携帯、カメラ、携帯・・・
   なんなんだよお前ら、馬鹿ばっか・・・
   カメラぶっ壊してやろうかと、携帯逆折りしてやろうかと
   そう思った。
   「不謹慎です、やめてください!」
   とりあえずやめさせようとした   無視された。
   嫌な顔もされた。
  
   ・・・なんで?
   悔しくて涙が止まらなかった。
   その後救急隊が到着した。
   ・・・と、すぐに口から出た言葉。
   「この子は"黒"だから搬送は後だな」
   二人の身体に告げられた。
   黒・・・馬鹿でもわかる、イメージできる。
   白より、嫌な色。
   重体なら先に助けてよ。
   こんなに血が、意識もなくて・・・
   可能性があるほうから・・・
   わかってる。
   そのほうが賢明だってことくらい
   ・・・ただ悔しかった。
   俺と軽症の一人が  一人づつ付き添いで
   病院にいくことになった。
   なのに
   事情調査、事情調査、事情調査
   名前は?住所は?生年月日は?電話番号は?状況は?
   同じ質問を何度も何度も何度もされた。
   その間友達は運ばれてしまった。

   「彼の友達なんです、連れていってくださいっ!!」
   「混雑してるから無理だね」
   何度も懇願した
   あげく
   「手術室には入れないし、行っても
    ・・・意味ないよ?」

   意味・・・いらない
   最期かもしれないんだ、孤独なんてかわいそうすぎる。
   結局、なにもできず、別の病院に搬送された。
   俺はただの打撲、レントゲンとって湿布はって終わり。

   待合室で電話がきた。
   双子から。
   友達が一人亡くなった・・・。
   ボロ泣きだった。
   その後病院を出た後。
   事故にあった友達の携帯を
   自分が預かっていた。
   その携帯が鳴った。

   ・・・友達の親だった。

   「中山君?あのね、○○・・・死んじゃった・・・。」
   号泣でいわれた。

   涙が止まらない。
   ぷよぷよで俺涙目にするんじゃなかったのか?
   ギルティー今日どっちが強いか決めるんじゃなかったのか?
   くだらないけど、叶わない夢。

   今後永遠に。
   神様・・・
   僕らが何をしたの?
   運命だから?
   そんなの残酷すぎる・・・
   明日・・・
   当たり前の日常が消えている
   怖い・・・
   犯人・・・ネット上で予告してたらしい
   人を殺すために来た?
   アホか
   死ねよ・・・カス・・・    


言葉は出ません。
ただ、その時の思いを書き綴ったのでしょう。
こんな悲惨な事件が起きないようにするには、どうしたらいいのか防ぐためにはどうしたらいいのか。
そして、もし、その場に直面した時、どのような行動がとれるのか。多くの出来事を通じて、私たちに、もっと真剣に考えよと問われています。
119.2008年6月2日(月)
 法筵寺守護神祭にて

御守護神様をお祀りするご宝前
昨日は、法筵寺の守護神報恩祭が盛運祈願会と合わせて営まれました。今年は、お天気にも恵まれ、多くの方にご参詣頂きました。
 参詣されたMさんが感想をmixiに書かれましたので、ご紹介します。Mさんは、お寺へ参詣されるようになり3ヶ月目で、盛運祈願会も3回目の参詣です。

  
今日は法筵寺さんの守護神大祭でした。
  住職さまの他にもお坊さんがいました。
  なんだかいつもの盛運祈願祭の時よりも 、さらに迫力がありました。
  私、ここの本堂好きだなぁ。
  ここでお経を読む時、
  おばあちゃん(生前、日蓮宗)にも聞こえてるかなぁ~
  なんて考えちゃう。

  今日は泣いた。
  お経をあげている時、自我偈を読みだしたら
  涙があふれてきちゃった
  なんでかよくわからんかった。
  2割はおばあちゃんの事 だと思う。
  でも後の8割は全くわからない。
  先月も先々月もこんな事かったのに
  どうしちゃったんだろ

  泣いて鼻が詰まってしまって面白い人になってしまったので
  次の法話が始まる前にトイレにGO!!
  次回ももし何かあったら困るから
  今度からティッシュ持ってこーっと。
  泣いた後はなんだか心がクリアな感じ

  法話にドラえもんの話が出てきたお寺でドラえもんだよ
  ドラを用いたお話だったけど、とても"納得"な法話でした。

  守護神大祭の後も心のクリアな感じが続きました。
  神仏に祈りたい気持ちでいっぱいです。
  というか祈っちゃったけど

  なんか自分いつもと違うなぁ。
  米の一粒一粒にまで感謝の気持ちが湧いてきた。

  自我偈訳検索しよ。


 以上です。

~合わせて、私からお送りしたコメントです。~
  
   昨日は、ご参詣お疲れ様でした。
   とても有意義なお参りでしたね。

   毎月のお参りの日のキャッチフレーズが「魂のシャワー」です。
   まさしく、その通りだったのです。

   たしかに、自我偈の訳を読んでも、泣けてしまうようには書いてありません。
   魂で読むから感動されたのでしょう。

決して、感動して頂こうとか、そういう思いで営む訳ではありません。どうしたら、(神仏に)祈りが届くのだろうか。これしかありません。
とても嬉しい感想でした。ありがとうございます。

境内に安置されている「八大龍王神」

法筵寺では、どなたでもお参りして頂けます。
いつでもお待ちしています。
118.2008年5月20日(火)
 
亡き方へのメッセージ・DVDと本 「ゴースト~天国からのささやき」

「ゴースト~天国からのささやき~」涙なしでは観られません。
レンタルされています。
http://www.movies.co.jp/ghostwhisperer/
ちなみに、この写真は怖そうですが、本当は美人です。
今日は、月例の供養会が営まれました。ご先祖様や亡き方々に感謝とご回向(お経)を申しあげるという日でした。
宗教、特に仏教儀式の中では、亡き方への追善ということは大切なことで、先祖崇拝として古来より丁重に行われてきました。それが、仏教(寺の仕事)であると多くの人は認識しています。間違いではありませんが、それがすべてでもありません。

 ところで、亡き方にご供養するとは、果してどういうことなのか。そして、本当に亡き方が求めているのはどういうことなのか。いつも心のどこかにありました。果たしてお経さえ上げていれば、それで納得して頂いているのだろうか。神仏が自動的に救いあげてくれているのだろうか。私のような者のお経でいいのだろうか。さまざな疑問が湧き上がってきます。

 私の両親(すでに他界)特に母親は、今でいう霊能者、霊媒師(亡き人の魂を、自らの肉体に乗り移すことができる)であり、その力で多くの人を救い、又、さ迷える霊魂を次の世界へと導いていました。それらを当たり前として小さい頃から見て育ちました。
しかし、実は、そういうことは特別なことで、お坊さんの世界でも異端視され、変人扱いをされていたことを後に知りました。
信仰を通じて、一心に祈ることによって救いの手を差し伸べていたにも関わらずでした。

以前から、そのような世界は紹介されていましたが、それはごく一部のことであり、特殊な世界としての扱いだったと思います。しかし、近年、TVなどの影響で徐々に理解されるようになり、ドラマ化されたり本として、多くの人々の関心を集めるようになりました。もちろん信じない人にとっては、あくまで作り物の世界に過ぎませんが、それでも、ようやく両親のことを分かりやすく伝えることもできるようになりました。しかし、それ以上に、今度は私自身が、亡き方との接し方を問われることになりました。

特に、この世に留まっている霊魂(この世に未練がある。死んだことを理解しても次にいけないなど)に対し、単にお経さえ上げれば、供養されているという大きな疑問です。本当は、理由があって、この世に留まっているということです。その思いを解決しなければ、次へ行けないということです。いくら立派な葬式を行っても、納得できない時は、出来ないのです。
そんなことを考えているのは、お前だけだと言われそうですが、ゆえに、ご供養とは何かを考えてみる必要があったのです。もちろん、ここではすべての意を尽くせません。

最近、出会ったDVDに、そんな疑問を問いかけてくれました。「ゴースト~天国からのささや~」シリーズです。(レンタルされています)。書籍ですと、飯田史彦さんのシリーズがお勧めですが、「人生の価値~私たちは、どのように生きるべきか」などです。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%94%D1%93c%8Ej%95F/list.html
いずれも宗教の立場ではなく、この世とあの世、そして、家族の絆や愛を教えてくれます。
今、何かを必要と感じている、あなたにお勧めします。
また、感想もお聞かせ下さい。

飯田史彦さんのシリーズは、多いですが、どの本からでも大丈夫です。
117.2008年5月14日(水)
 佐渡団参

手前の人たちと比べると大きさが分かります
12、13日と、佐渡島へ団参に行ってきました。今回は、栄立寺さんと浄蓮寺さんが合同で計画されていた団参に便乗させて頂いたということです。法筵寺からは、10名参加でしたが比率は3ヶ寺とも同じでした。

今回のメインは、佐渡の両津に5年前、全国日蓮宗青年会(日蓮宗の若い僧侶の集まり)の委員長であった佐野上人の強い念願で日蓮聖人の銅像が建立されました。この5周年記念法要に参加することと、霊跡寺院を参詣することでした。

この銅像は、高さ26.3m。総重量1036トンあり、お釈迦様の国インドへ向いて立っています。黄金色に輝く日蓮聖人像は、厳しいお顔をしておられますが、佐渡で過ごされたあしかけ4年間の中に、数々の中心となる御書をしたためられた日蓮聖人の魂が籠められているようです。

法要には、日蓮宗宗務総長が導師を勤められ、青年会の僧侶が出仕され、若い僧侶ならではの読経でありました。来賓のご挨拶も数名ありましたが、いづれも感銘するお話で、近年では出会うことのない法要であったと感じました。

佐渡は、日蓮聖人ゆかりのお寺がたくさんあり、それぞれ700年の歴史を経て今日まで継承されています。しかし、あるお寺へ参拝した折、こうして団参で参詣する人が激減していると嘆かれていました。前にも書きましたが、総本山や、七面山も同じ傾向でした。事情はあるのでしょうが、もっと皆さんにお参りに行って頂きたいと思いましたが、住職さんがその気にならない限り実現しません。やっぱり遊びに行く方がいいのでしょうね。

この銅像はいつでも参拝できますし、いつでも見ることができます。本当は直接がいいのでしょうけど、ライブカメラでもご覧頂けます。
こちらをどうぞ。
http://www.sado-konponji.com/nichirenzou.htm
昨日も、子供たちは、このカメラで、私たちを見ていました。同時に携帯でやり取りして、みんなで盛り上がっていました。

法筵寺からの参加された方々。
お疲れ様でした。
116.2008年5月4日(
 仏前結婚奉告式

「誓いの言葉」をご本尊様に報告します。
今日は、5月盛運祈願会が開催され、ゴールデンウィークの真っ最中にも関わらず、多くの老若男女の方にご参詣頂きました。

そして、午後から、THさんと、YMさんの結婚奉告式が本堂で行われました。本堂で結婚式が行われるのは久々です。
結婚式とは、誰に誓い、誰に報告するのかが重要なことで、近年では、人前結婚式なるものもありますが、(いけないと訳ではありませんので、そうだった方、気にしないでください。)
その場合は、参列した人々に報告し、みんなが認め、その二人を保障するという意味合いだと思います。

仏前結婚式は、字の通り、ご本尊様やご先祖様に、報告し誓いを立てるということです。 一般的には、仏前?となりますが、これにはとても重要な意味があるのです。
 それは、重要な一貫した祈りにが根底にあります。本来は、生まれてから、厳密には、生まれる前、お腹にいる時に、すでに安産の腹帯のご祈願を受けます。 誕生してからは、初参り、七五三、成人式その他、あらゆる人生の節目など、又、合格祈願や、交通安全などのご祈願、お祝事など生きてる間も、多くの祈りを捧げます。常に神仏を必要とします。 そして、亡くなった時も、同じ祈りで葬儀が行われます。 ゆえに、結婚奉告式も同じ祈り(宗教)で行われるということです。

誕生から墓場まで一貫した、祈り(神仏との絶対的な信頼)となり、これが本来の理想的な姿でしょう。
でも、ほとんどの場合は誕生したら、神道でお宮参り。
結婚式は、教会がいいと、その場限りのキリスト教。
死んだら、たぶん坊さんだろうということで、葬儀屋任せの、その場限りの坊さんが、大切であるはずの引導を、どこへ行かされるのかわからないまま営まれてしまう。 これが現実です。

ともあれ、今日は、その思いを胸に誓いを新たにされたお二人の前途を祝福申し上げます。

又、今回は昨日、まずは1ヶ月間、学寮でしごかれた長男が連休で帰ってきましたので、このお祝いの式で、デビューしました。もちろん、これから、さらに特訓【修行】は続きますが。

これからが、本格的な学びです。
115.2008年4月22日(火)
 仏旗(仏教旗)

前日、参拝された方から、屋上にある旗は何ですか?と聞かれました。私としては、おお!やっと聞いてくれた人がいたと思いました。もちろん、すでに気がついていた人もいるでしょうけど、又、聞くと面倒だからと、多分、誰も聞いて頂けなかったのだと思います。
でも、勝手に解釈している人もいるようで、この際、お話しておきます。
実は、3月1日から、屋上に仏旗(ぶっき)正式には仏教旗というのですが、ここは仏教のお寺ですという意味も込めて屋上に立てました。以降、年中、たなびいています。

仏旗の説明は、全日本仏教会から引用しました。
 仏教徒が、仏教を開かれたお釈迦さま(仏陀)の教えを守り、仏の道を歩んでいく時の大いなる旗印となるものです。

仏陀がそのすぐれた力をはたらかせる時、仏陀の体から青、黄、赤、白、樺及び輝きの六色の光を放つと『小部経典』というお経の中の「無礙解道」の項に説かれていることからこれらの色が使われています。このため仏旗は「六色仏旗」とも呼ばれています。また、次のようにも理解されています。

  • 青は仏さまの髪の毛の色で、心乱さす力強く生き抜く力「定根(じょうこん)」を表します。
  • 黄は燦然と輝く仏さまの身体で、豊かな姿で確固とした揺るぎない性質「金剛(こんごう)」を表します。
  • 赤は仏さまの情熱ほとばしる血液の色で、大いなる慈悲の心で人々を救済することが止まることのない働き「精進(しょうじん)」を表します。
  • 白は仏さまの説法される歯の色を表し、清純なお心で諸々の悪業や煩悩の苦しみを清める「清浄(しょうじょう)」を表します。
  • 樺は仏さまの聖なる身体を包む袈裟の色で、あらゆる侮辱や迫害、誘惑などによく耐えて怒らぬ「忍辱(にんにく)」をあらわします。インド、タイ、ビルマ等のお坊さんがこの色の袈裟を身につけています。

この縦と横に重なり合う五色で表される仏さまのお姿と教えが、仏の道を進む私たちを励まして下さっているのです。
とあります。

どこのお寺でも、仏旗をあげると、もっと町の中が賑やかになると思うのですが、それに、誰からも分かるし、特に外国の人からは分かりやすいです。

参詣の折、又、名鉄電車からも見えますので、御覧下さい。



青空には、よく映えます。
風雨にも耐えていますが、1ヶ月余で、修理しましたが、しばらくは大丈夫でしょう。
114.2008年4月6日(
 花まつり

花見堂の誕生仏、甘茶をお掛けします。
今日は、お釈迦様の誕生をお祝いする「花まつり」と毎月の盛運祈願会が開催されました。
お釈迦様は、2600年前に、釈迦族(現在はネパール)の王子として誕生されたのですが、やがて出家され、その後、仏陀(悟りを開いた人)となられました。歴史上のお釈迦様については、出家の動機なども含め諸説がありますが、今では大抵の事は、世間に出回っていり書籍などが通説となっています。
 しかし、歴史上のお釈迦様として捉えるか、それとも次元を超えた世界で捉えるかによっては、根本的に異なります。一つ言えることは、修行して仏陀になられたという表現ですが、実は、もともと悟っていた存在であったと法華経で説かれています。同時に、私たち人類も皆、私(仏陀)と同じ性質を持っていることを忘れないようにと説かれます。
人類すべてですので、この地上に住む人々も皆、同じであると言えます。しかし、現実はそんなことは誰も気づいていません。なぜなら、そういうことは誕生と同時に忘れるようになっているのです。でも、そのことで、さまざまな体験が出来るのも、この地上世界の仕組みでもあるのです。
もちろん、苦しみから解放されたい方は、そのお手伝いをするのが私の役目ですから、いつでもお越し下さい。

4月2日に、長男(前回の日記参照下さい)が、東京・谷中にある日蓮宗宗立の学寮に入寮しました。師匠であり親でもある私も入寮式に出席せねばなりませんので、出掛けてきました。 この学寮は3・4年生が対象なのですが、長男の場合は編入ですので、1・2年生で学ぶべきことがほとんど出来ない状況です。恥ずかしながら教えてもいなかったのです。しばらくの間は、個人的に、お経練習からはじまり、さまざまな僧侶としての基本を叩き込まれる期間が続き、その間に大学にも通うことになります。今回は本人が志願してのことですので、蔭から、しっかりと学べるよう祈るしかありません。

今年も境内のしだれ桜が咲きました。まだまだ数えれる位ですが、その数は年々増えています。バックは、屋上にある仏旗です。
113.2008年3月23日(
 再び集まった青年団?

みんなで記念撮影
長男が来月から、東京の立正大学へ編入することとなり、昨晩、法筵寺檀信徒の若手の集まりである、青年団(仮称)の有志の皆さんによる、壮行会が開催されました。
この集いは、今年のお正月に初めて開催され、そのメンバーが中心となり、今回は、子供も一緒に集まろうということとなり16名が集まりました。(№106参照)
 この集いは、すべて青年団(この名称は変わると思いますが、お祝に頂いた品物の名前が、そうなっていました)の皆さんが計画し、食べ物や飲み物すべて用意されていました。

今回、長男の為にということで計画されたものですが、本人にとってみれば、このような激励壮行会を開いて頂くとは思ってもみなかったので、数日前から、挨拶も考えていたようです。しかし、それ以上に皆さんが楽しんで頂けたので、感謝の言葉と決意を述べるのに精一杯だったと思います。

なによりも、小さい頃から親に連れられて、お寺へ来ていた子供(もう大人ですが)が、こうして成長し、そして親となった今、再び、自分たちで、次の世代へと伝えていこうとする思いが一番、大切で、また、うれしいことです。
今回も先回に引き続いての集まりでしたが、私は一切何もお願いした訳でもなく、又、集まれとも一言も言いませんでした。しかし、こうして、形ができ輪ができることは、とても大切なことだと思います。

今後も、さらに、その輪を大切に広げていくよう応援していきたいと思っています。

まずは、皆さんに感謝し、これからもお願いします。ありがとうございました。

食べて、飲んで、楽しく語らう
112,2008年3月20日(春分の日
 写経の会


写経され、その後、納経して頂きました。
又、合わせてお題目の写経もして頂きました。
今日は、お彼岸の中日です。
名古屋は夜半から激しい雨でした。お昼過ぎた頃には上がってきましたが、全国の各地では雨風が大変だったようです。

今年は閏年なので、春のお彼岸は17日から1週間となります。16日には早々に、春のお彼岸「永代供養法要」を営みました。
又、毎年、春と秋のお彼岸中日には、「写経の会」を開催していますが、本日、午前と午後の2回に分けて開催しました。
今回は、初めて参加される方や、檀家さんに誘われて参加された方も数名おられ、全体的には少数でしたが、それでも開催の意義は充分ありました。

写経というと、ほとんど「般若心経」というイメージです。一般の書店でも写経といえば、これしかありません。私たちからすれば、せっかく写経して頂くなら「妙法蓮華経」をと思うのですが、なかなか伝わりません。ならば、そのような機会を作るしかないと思い、毎年2回ですが開催しているということです。
本来は、いつでもどこでも写経はできるのですが、実際はそのようになりません。ゆえに、こういう機会に参加して頂きたいと思っています。

今、チベットと中国の問題が伝えられています。ダライ・ラマ14世もコメントしています。ニュースからでは真相は分かりませんので、いい加減なことは言えませんが、同じ仏教徒として、又、人間として迫害を受けているとしたら、一刻も早く終わらせるべきだと思います。どちらが正しいとか誤っているということではなく、やっていることで自分も相手も幸せになれるかということです。
この問題は、もう少し事態を見守ります。
111,2008年3月3日(月)
 25年

家内の母と子供たちからのプレゼント
今から25年前の昨日、結婚式を挙げました。
昨日は、お寺の行事で終日、忙しくしていましたが、家内の母と、子供たちから、花を送られました。正直、今まで記念日などはあまり意識していなかったので、みんなの思いに嬉しく思いました。
たった25年、されど25年です。そのことを今朝の朝勤でしみじみと感じながら御縁を頂いて方に感謝した次第です。

出会いは、家内の菩提寺の住職さんからの紹介でした。当時、私は、すでに両親は他界しており、妹も東京へ嫁いでしました。一人でお寺の住職として生活をしていましたが、お寺と言っても、新寺建立の名ばかりで、荒行堂の初行は成満(終わる)したものの、仕事や生計も満足に出来るはずもなく、まして安定した生活を送れる状況でもありませんでした。
しかし、年齢的には、いろいろな方面からお嫁さんの話が来るのですが、最後まで、まとまりませんでした。

 そんな状況がだらだら続いていたのですが、さまざま環境や、自分自身を変えたいという思いがあり、そして、思い切り変える方法として取った行動が、二十歳の時、当時、家族や檀信徒と共に行ったインドへ再び行くということでした。その頃は、あこがれの地インドへということでしたが、今回は、一人でインドへ行く、しかも日本人僧侶で、活躍している佐々井上人の元へということがメインでした。(この時の旅行記は、別にまとめたものがありますので、ご覧になりたい方はご一報下さい。差し上げます

27歳の5月に両親の遺骨の一部を携え、インド彷徨の旅へと旅立ちました。そして、お釈迦様の歩かれた仏蹟地を、それぞれ、1週間以上、滞在しながらの巡拝でした。
法華経の説かれた霊鷲山では、毎朝ご来光に合わせ登詣しました。そんなある日のことです。いつものように一人座り、お経を読んでいると、こんな風に浮かんだのです「何事も中途半端で、心が動いてばかりいる。しかし、自分で決めたことの一つ位は信念と自信を持て」ということでした。その時、続けて浮かんだのが「次に、紹介される女性は、いかなる理由があろうとも、その人と一緒になる」でした。たしかに、当時は、それだけ優柔不断でいい加減な考えしか持っていなかったのは事実で、まさか、伴侶を決定することが、そこで決まるとはということでした。

やがて、帰国した9月のある日、先の住職さんから、「おまえ、誰かと付き合っている人はいるのか?いなけれな紹介する子(女性)がいる」この瞬間に私は決めたのです。当時、彼女は、まだ現役の短大2年生でした。(ちなみに、このことを文面にしたのは初めてです。)

以来、25年間、私の我儘ややりたい放題、決して安定した生活を何一つ保障している訳ではありませんが、よくぞ、一緒に付き合って頂けましたと、感謝するしかありません。
もちろん、家内の母(父は、高校生の時に他界)の力、そして子供たち。又、多くの有縁の人々によって今日までくることができました。せめても、こうして書くことによって、改めて、大宇宙のすべて、そして皆さんに感謝の思い捧げます。

今日は、雛祭りです。昨日、行事で参拝された方が御覧になれました。中には、「帰ってからお雛さま飾ろう」と言われていました。まだ間に合います。お雛様もきっと喜ぶでしょうね。
110,2008年2月17日(
 ホームページ完成

ハガキ大の案内を作りました。
まずは、HPを御覧下さい。
2月16日は、日蓮聖人のご降誕の日(誕生日)です。この日を開設日にしました。
私は、以前も書きましたが、今、日蓮宗名古屋宗務所の副所長と伝道室室長を務めています。伝道室というのは、布教に関することを計画したり、実行したりという部門ですが、今回、立ち上げたのがホームページでした。

 しかし、立ち上げるといっても、宗務所公式のホームページであり、市内寺院の合意と協力がなければ実現しません。それには、当然さまざま憶測があり、何といっても、情報が公開されるということでしょう。
でも、情報を公開するということは、ひとつには宗教法人ということです。個人的なことは勝手に紹介できませんが、法人ということは、ある面、公的であります。宗教法人の定義の中には、近隣住民への公開や解放があり、それゆえに税制面も一般と異なっています。
又、他の地域から移転したとか、自分の探したい寺が分からない、見つからないという場合にも役に立つのではないでしょうか。さらに、どんな活動をしているのかも、分かりますので、今まで見えなかった世界も少しでもご理解できたらと思いました。

そんな思いでの今回の開設となりました。
ぜひ、多くの方にご利用して頂きたいと思います。

まだまだ、開設したばかりで、内容は不十分です。これから、順次増えていきますので、時々お越し下さい。又、お尋ねなりたいことなどもメールでお寄せ頂けばと思います。

アドレス http://nichiren-ngo.or.jp/
携帯からも見ることができます。
109,2008年2月10日(
 久々の雪

なぜか、雪が降ると外へ出たくなる子供たち。
いづこも同じです。
北国の人にしてれみれば、どうでもいいようなことですが、めったに雪の降らない地方にしてみれば、大変なことであります。
昨日は、午前中からチラついていた雪が、午後から本格的になり、ついには積りはじめました。
もう、そうなると、交通はパニックになります。たとえ、数センチも(規定はあるでしょうけど)名古屋市内の高速道路は、すぐに全線通行止めになります。
市内の道路でも、特に橋や立体交差する橋なども、もうスリップで、運転者は真っ青です。すぐさま渋滞がはじまり、さらに雪が積もるので、一層スリップに拍車がかかります。運転中に雪が降りはじめ積りだすと、めちゃ焦ります。(経験者として)
子供の頃は、雪が降ってくると楽しくなり、外で騒いでいたように覚えていますが、今では、とんでもないと思うようになりました。年を取ったのか、それともいやな思い出があるのか。どちらかと言えば後者の方です。

そんな訳で、午後2時から相談に来られる方も、途中で来られませんとの電話があり中止。午後4時からの外氣功療法で来られる方も、早々に中止の電話。午後6時からの「神との対話」学習会も中止として、皆さんにお電話にて、その旨を連絡。
結局、午後から、すべて予定は中止となりました。
 こんな程度の雪で・・・と雪国の方には笑われそうです。しかし、これが現実です。

今朝は、わずかに積雪が残る程度ですが、それでも滑ります。やっぱり、雪には都会(暖かい地方)の人はみんなが慣れていません。

雪景色?の法筵寺
108,2008年1月29日(火)
 節分祭 終わりました

今年も水行しました。いつまで耐えれるでしょうか?さまざな意味を込めて。
27日、恒例の「開運節分祭」が開催され、お天気にも恵まれ、今年は260名以上の参詣者にて無事終了しました。
 9時30分から本堂で、節分祭大法要が営まれ、世界の平和と人類の幸せにを祈りました。その後、境内での水行、毎年、私も行うのですが、年々歳と共に、お見せできるような状況ではなくなってきました。それに今年は、若い僧侶の方もデビューしましたから、その差30歳これは結構、比較対照となります。肌のつや、水のはじき具合、見る人も慣れてくると、そういうところがチェック対象となるようです。
ともあれ、いつもより寒かったので、かぶる方としては効果的でしたが、初めてご覧なった方の感想がメールにありましたので、紹介しておきます。
 〖個別祈祷もさることながら、水行なんて私達はストーブ側にいましたが正面から見てスゴイスゴイって興奮してました(^-^)娘も写真撮ってました。〗

続いて、水行中に本堂では、個別祈祷用に特設祈祷所が設営され、10~15名くらいづつ、ご祈祷をしていきます。
日蓮宗のご祈祷は、大荒行堂にて百日間の荒行を終えた僧侶(修法師と言います)が、木剣(ぼっけん・数珠で音を鳴らす)にて、加持祈祷(かじきとう)を行います。特設の祈祷所は、独特の雰囲気もあり、6名の修法師に囲まれてのお経の迫力と木剣にて、皆さん心身ともにシャキとするそうです。
又、一人一人に、撰経(お経がかかれた巻物)にて、エネルギーを付与していきます。

ご祈祷が済むと、豆(三角形の袋詰め)と、飴、チョコ、五円玉の入った升を受取り、皆さんに撒きます。それぞれ豆まきを行い、そして拾う方になり、充分、拾ったら後は、ぜんざいを召し上って頂き、さらに福引をして帰るということになります。その繰り返しを2時間続け、さらに小休止後、1時間行いました。
修法師の皆さん、本当にお疲れ様でした。

今年の福引は、ニンテンドウDSライトや。リゾート券。お米など。檀信徒の方のご寄付もあり、空くじはありませんから、皆さんに楽しんで頂けたかと思います。

開運節分祭は実行委員会として、総代さんをはじめ40名近くの檀信徒の方が手伝って頂けます。皆さんがそれぞれの役配をこなして頂けるので、スムーズに進行できます。「おらが寺」という意識で行って頂けるので本当に感謝です。皆さんお疲れ様でした。

すべてが終わり、夜、家族で反省会のようなことになりました。すでに来年はこうするればいいと、気分はもう来年の節分祭に向けて始まりました。

豆まきは、大人も子供も我を忘れてしまう一瞬です。掛け声は、若手のお坊さんが頑張ってくれましたので、一層盛り上がりました。参詣された方は誰でも出来ます。
107,2008年1月14日(月)
 伊勢神宮と身延山、そしてTさん親子

法主猊下よりニンジンをもらう馬
10日夜、北海道からTさん親子が来寺されました。Tさんとは、昨年4月にこのHPを通じて知り合いました。8月後半より、何度もメールでお話をさせて頂き、是非、名古屋へということになり、その夢が実現しました。
Tさん親子とのやり取りは、今後、いろんな機会にご紹介できるかと思います。今回は、伊勢神宮と日蓮宗総本山身延山久遠寺の参拝を計画し、案内させて頂きました。
伊勢神宮では、まだ初詣の期間中ということもあり交通規制や、団体での参詣者、大変多く、今までは、この時期に行ったことがなかったので、少々、戸惑いましたが、なんとか外宮、内宮とお参りすることができました。
おかげ横丁にも寄ることができたので、楽しんで頂けたと思いますが、駐車場が遠いせいか、いい運動にもなりました。
意外と、伊勢うどんは好評でした。

引き続き、13日には、身延山久遠寺にも参詣しました。毎年1月13日は、御年頭会という新年の行事が営まれます。この行事に合わせてと思ったのですが、少々遅れて到着したのですが、丁度、祖師堂の前で、法主猊下が馬にニンジンを与えるという行事?には間に合いました。身近に法主猊下を拝見することができ、良き思い出になりました。

Tさん親子、念願叶っての参詣でしたが、やはり、それぞれの場所で感慨深いものを感じられたようです。

今回、お寺へお越し頂く間に、定例の「神との対話」学習会も行われました。しかし、今回は、特別バージョンとして、Tさん親子にも参加して頂き、普段とは全く異なった形式での方法で行いましたが、参加者の皆さんには、改めて、「神との対話」を経験されたことと思います。
事前に内容等を告知していませんでしたが、私を含め僧侶の方が4名おられました。その道のプロですが、祈りや、亡き方への供養、神仏への思いなどを改めて認識できたことと思います。


私自身も、そして家族も全員、この4日間は夢のような日々の連続でしたが、確実に何かが変わっていくように感じたTさん親子の来寺でした。

特別バージョンで開催された学習会
106,2008年1月6日(
 新年の行事も一段落

「現金つかみ取り」箱は、とても頑丈です。
やっと、元旦からの行事も一段落しましたので、振り返ってみます。

今年の元旦は、とても素晴らしい朝日が拝めました。本堂の窓を全開にすると、丁度、建物の隙間から朝日が差し込みます。日の光を背に受けながら、新春の朝勤をたっぷりと勤めることができました。その朝日は、本堂の内陣にも、時間とともに刻々と変化していきます。なんともすがすがしい幕開けとなりました。

引き続き元旦は、正午より、新年盛運祈願会が開催されました。
お天気も大して崩れることなく、本年も150名程の方々が初詣も兼ねて参詣され、本年の無事を祈念されました。法要後、お屠蘇を召し上がって頂き、高校生以下の子供たちには、恒例のお年玉「現金つかみ取り」が行なわれ、子供たちは大喜びでした。

3日は、法事を営まれる方がおられましたので、厳粛に法要を営みました。

4日は、家祈祷(やぎとう)を行うために檀家さんのお宅へ伺い始めました。、これは2月まで続きます。

5日は、寒修行として、唱題行(お題目を唱えること)と瞑想が行われました。以前は、寒の時期になると、寒行(かんぎょう)として、町を歩いたりしましたが、今は、交通等諸般の事情で本堂で行っています。今年は、呼吸法と瞑想を主に行い、その間に唱題行を取り入れ、心から祈ることを心身共に体験して頂きました。
 どうしても修行というと、なにか、体を痛めつけたり、限界に挑戦したり、耐えることに重点を置きます。又、そういうイメージになりますが、そうでなくても日常、さまざま意味で耐えています。我慢しています。さらに我慢したり耐えることをしては、それも必要だという人もいるでしょう。しかし、私はそうではなく、それより、心が解放され、気持ちよくお題目をお唱えすることが大切だと思います。苦しい状態で、神仏に近づこうとするよりも、気持ちよく、心地よく、感謝の気持ちを抱く方が、はるかに近づけるのではないかと思います。
そんなことで、修行とは書いてありますが、そうではありませんと始めました。
 普段とは異なった雰囲気の中での、約2時間でしたが、みなさんいかがだったでしょうか。参加者は15名でした。

その後、法筵寺青年部と称した集いが行われましたが、この企画には、私はまったく関わらず、平素、お寺に集う、若い人たちが自主的に集まったものでしたが、大半は寒修行にも参加されていました。以前(15~20年前)、若い時、経験したなかで、昔のように若い人が集うべきと声掛けをしたようです。、今回は初めてということもあり、普段お寺に参詣する気ごころ知った人たち12名が集まりました。
 途中からは、私も参加して、皆さんと一杯飲みながら直接、いろいろな話が聞けたり、質問に答えたりと有意義な時間でした。
 正直、私も青年という年ではありません。しかし、将来を担うのは若き人たちであります。その人たちが、こうして、自主的に集まり、お寺のことや、教えのことを、積極的に話し合えるということには願ってもないことであります。
 これからも大いに、その輪を広げていって頂きたいと思います。昨日の集いに感謝しています。

これからを担う青年たちと記念写真
105,2007年12月25日(火)
 今年もあと1週間・ありがとう

冬至の1日前の本堂からの日の出。
決して良い景色ではありませんが、太陽は平等に恩恵を与えて頂けます。
いよいよ、今年もあと1週間となりました。今日はクリスマスです。昨晩は、名古屋港で花火が打ち上げられ、私は見ませんでしたが、家族の話によると、ハート型とか、トナカイ?とか、クリスマスバージョンらしく、3階の本堂奥から見えるようでした。
いづれにしてもお寺ですから、クリスマスと言っても、そんなに派手に行う訳にもいきませんから、年忘れ会と称して、いとこ同士集まって、ケーキなどで楽しんでいたようです。

16日には、檀信徒の皆さんで本堂やお寺全体の大掃除を行い、22日の冬至までに本堂内は、新年を迎えるよう準備を整えました。
そして、冬至の日より、皆さんの申し込まれた「星祭祈願」を始めました。
今回からは、申込頂いた方々の生年月日を元に、毎月の盛運祈願会には誕生月祈願として読み上げ、又、誕生日には、朝勤で読み上げ、皆さんの安泰をご祈願することにしましたので、該当する方は意識して頂くと、より効果あるかと思います。尚、倶生霊神符を毎月頂いている方も同じように祈願します。(該当者の方は、ご連絡をお待ちしています)

今年、1年を振り返ると、さまざまな出会いや新天地での仕事も広がりました。公的には日蓮宗名古屋宗務所の副所長と伝道室長に任命されました。今まで一度も宗務行政には関わったことがなく、過去にも誘いを受けたのですが、いよいよ今回は断る訳にはいかないと決心し引き受けました。
5月から新たなスタッフで宗務所が始まり8ヶ月経ちましたが、あっという間でした。しかし、新規にホームページを立ち上げるべき計画を立て、現在制作中で、間もなくUP出来そうです。もちろんプロの方が制作していますので、安心していますが、反面、名古屋市内寺院の方々を紹介していくのですから、すべての方々のご理解とご協力を頂くには、難しいものがあるのも事実です。
しかし、時代のニーズに応えるためにもと進行中です。

個人的には、北海道のTさん親子との出会いが、私の信仰心を、さらに深くして頂きました。
4月頃、Tさんから1通のお電話を頂きましたが、その後、連絡は全くありませんでした。しかし、8月七面山団参も終り「さあ、これからまた頑張ろう」と思った翌日、Tさんからメールが届きました。以来、今日までに60通以上のメールのやり取りがあり、その間に多くのことを学ばせて頂き、多くの経験もしました。今尚、続いている事項もありますが、不思議なご縁と思います。

世間では、多くの見えなかったものが表面に出てきています。隠されていたものが炙り出されています。これからもどんどんと出てくるのでしょう。
ゆえに、「ハンカチ王子」とか「ハニカミ王子」とか、ある面、純粋な面を求める時代でもあります。やはり、人間の心には、あまりにも時代が悲惨になると、素直、純粋、正直、真面目、真剣、そのような要求をするのでしょう。
常に、真面目にコツコツと努力することが大切だということです。

少し早いですけど、この1年お読み頂き、ありがとうございました。
是非、良いお年をお迎え下さい。


吉田慎さんから、「ありがとうの歌」を配信して頂きましたので、皆さんに感謝を込めて贈ります。
どうぞお聴きください。

YOUTUBE>http://www.youtube.com/watch?v=uL68L3ieES0(動画モノラル版)

本堂内の飾り付けも進んでいます。
104,2007年12月12日(水)
 「手ぶらになる」


境内に咲く「椿」
さすが、12月に入って、気忙しくなってきました。
そして、忘年会とか年忘れ○○とかで、お酒を飲む日が続いています。もちろん自分自身で自制すればいいのでしょうが、話が弾み、だらだらと続くことに毎回なるのです。

昨日は、定期に行われる市内寺院(日蓮宗だけですが)の会議が開催されました。この会議は、重要な事項も決議されますし、今後の方針や活動にも大きく影響しますので、いつもとは違った緊張感で進められました。
ほとんどの事項については、当方の提案通りに決定されましたので、まずまずですが、同時に忙しくなるということもあります。
与えられた使命を頑張るしかありません。

その会議の最後に、尊敬する先輩の僧侶の方が、ご自身の進退問題を話されました。まだ、今年からスタートしたばかりの体制なので、少々、私たちも戸惑いましたが、一身上の都合ということで、詳しいことはここでは述べませんが、次のような話をされました。

ある大女優の方が、芸能界から引退される時に話されたとのことです。
「私はこれで、手ぶらになれる」と言ったそうです。それを聞いた芸能記者が「手ぶらとは、何もしないのですか?これからどうするのですか?」と聞き返しました。
すると「手ぶらになるということは、今まで自分が持っていた全てを、捨てるということです。しかし、それは何もしないということではなく、ここに、もし穴を掘るということになったら、あなたは、手に何を持ちますか?スコップを持って穴を掘りますよね。今もっているものでは掘れないないから、スコップと持ち替えるのです。ゆえに、まず手ぶらになる必要がある」という話をされました


それは、先輩僧ご自身の心境を表したかどうかは、あくまで、ご本人しか真相は分りませんが、以前、私は長く関わっていた団体の役職をすべて辞めたことがあります。その決断をするまでには、すごく悩みました。苦しみました。しかし、もう耐えられなかったのです。その一つには、自分自身の実力よりも、地位や立場の方が勝っていたことと、地位が先行し、その枠から出れない。又、実力不足とのギャップ。さらには、本当にこのままでいいのだろうか。という数々の疑問でした。そして、意を決し辞表を提出し、すべての立場から退きました。その時、一抹の淋しさも過りましたが、それ以上の解放感を味わったように記憶しています。

合せて学んだことは、自分が辞めたら、同僚や後輩も辞めるのではないか。困ることになるのではと考えたのですが、そんな心配は全くの無用ということです。「自分が思うほど、他人は考えていない」ということです。

先輩僧の方は、私のような中途半端な地位や立場、実力などではありません。到底足元にも及びません。信頼も厚い方です。今回、あらゆる公的な立場から、その任を後身に託されたそうです
103,2007年11月30日(金)
 国際永久平和祈念祭典in大阪

日蓮宗を代表されて、舞台上で挨拶される早水日秀僧正
しばらくぶりで日記書いています。忘れていた訳ではありませんが、チャンスを逃していました。21日に大阪へ行き、NHK大阪ホールにて開催された「国際永久平和祈念祭典’07」へ参加しました。
 毎年、この時期に開催されますが、主催者の竹内日祥上人は、日蓮宗の僧侶ですが、宗教宗派を超えた活動をされておられ、この祭典も、毎年、各宗教や宗派が、主となり、宗教芸術祭典として行っています。

今年は、真言宗泉涌寺派の管長をはじめ、僧侶の方が声明(しょうみょう)儀式を営みました。この泉涌寺というのは、歴代天皇家の葬儀を営む寺として有名です。特に、戦後、天皇家から歴代の位牌が処分される前に、すべてこのお寺に安置し、今でも守り続けているそうです。
 その泉涌寺の法要に、ドイツのバイオリン演奏者・トーマス・カールゲルマン氏の演奏、又、エファ・マリア・カールゲン・オッテ氏の舞踊をコラボレーションした祭典となりました。毎年、各宗派が行うのですが、それぞれの宗派によって声明も異なりますし、お経も読み方が異なりますので、正直、聞いていて分かるというのではありません。多分、一般参加者の方は、もっと分からないでしょう。内容より、全体的な雰囲気を楽しむということになります。
祭典の最後には、各宗教、宗派の代表者が舞台に登壇一列に並ぶのですが、管長や本山の貫首さんクラスの方までおられますので、見ている方は圧巻です。
今年は、特に、代表挨拶を日蓮宗管長の代理で池上本門寺執事長・早水日秀僧正が述べられました。

翌日は、同協議会主催の宗教対話学習会が開催され、これにも出席しました。詳細の一部は12月の「思うまま独り言」で書きますのでご覧下さい。
又、この学習会については、ミクシィでコメントしたものを掲載します。

国際永久平和祈念祭典協議会主催の学習会が開催されました。ここでは宗教を超えて学ぶということですが、大切なことは、決して他の宗教を簡単に迎合しないということです。
 私はこんな考えで参加しています。それは、自分には信じる信仰・宗教(宗派)があり、それは絶対であります。 しかし、その考えを貫けば、他を攻撃するしかありません。それでは、人類の平和や、個々の幸せは来ることはありません。今の世の中がその通りです。戦争もそうであり、歴史もその繰り返しでした。
そうではなく、自分の考えも、全体の中の一つであり、その一つ一つの集合体が一つになる。これこそ総和であり、ワンネスです。
 そのことを具体的に行っているので参加してみようということです。
自分が原理主義者でないということは、対話しかありません。それは、妥協でも迎合でもないのです。自分の考えをしっかり持つことで、相手を受け入れることができるということなのです。
 しかし、これだけの企画でも、参加する人(宗教者)は、数える程度です。もちろん、他にもこのような運動や団体はあるでしょうが、ほとんどの宗教者は、やはり、そんなことは関係ないという考えが大半を占めるのでしょう。
 それとも、私はやはり変わり者だったのでしょうか?     

学習会会場・KKRホテル大阪の最上階で、反対側は大阪城を一望できる素晴らしい会場なのですが・・・・もっと参加者が・・・。
102,2007年11月12日(月)
 mixiミクシィに誘われました。

幼い頃から滑っている子には、太刀打ちできません。そんなスポーツです。別名・氷上格闘技
10日午後10時より、港区の邦和スポーツセンター・アイスリンクで、長男が在学する大学の今年最後(本人にとっても)のアイスホッケーの試合があり観戦に行きました。愛知県内には6つの大学にアイスホッケー部があり、秋季リーグの最終日でした。相手は名古屋工業大学で3対1の辛勝で、全試合全勝。リーグ連覇は続いてます。しかし、今までは、大差での勝利試合ばかりで、しかも相手に1点も与えないような試合ばかりでした。ところが、今年は、選手の数も減り戦力的にも低下しています。来期からは監督も交代するとかで、それでも負けることは名誉にかけてもしない。という意気込みで臨んだようですが、試合後、反省会が延々とあったそうです。
ちなみに、秋季リーグに優勝したチームが、インターハイに出場するのですが、どうするのか今週中に結論がでるようです。

1週間程前に、知人から「ミクシィ」という、プログのサイトに紹介されて登録しました。以前にも紹介されたような気もするのですが、その時には、あまり興味が湧かずそのままになっていました。世間では、10人に7名は、インターネットを利用する時代です。ホームページを自由に閲覧し選択の範囲を広げています。さらに、自分の思いを綴ってみたいということで、プログ(日記のようなもの)に自由に好きなことを書き込み、多くは一般公開しています。
又、同じような興味や意見を持つ人たちのコミニティも作れるので、そのような世界はどんどんと広がっています。自宅にいて、しかも簡単に多くの人たちと交流できるという、もちろん語学力さえあれば世界中のひとと交流できる訳ですから、想像以上の世界が展開されていると思います。
 もちろん、すべてが健全で安全な内容である訳でもありませんから、常に注意をしておく必要はあります。しかし、望めば望むような世界がボタン一つで提供されてしまう。そういう時代です。今や、幼児の頃からコンピューターに当たり前のように触れています。そのようなことが良いとか悪いとか、もうそういう次元ではありません。どのように扱うかが議論されていくのでしょう。

こうして、この日記をご覧になっておられる方に、こんなことを言うまでもありません。本当は、全く知らない、知ろうとはしない人々がどうなっていくのか。ほとんどの人は、開き直りされるでしょうが。関心をどれだけ持たれるのか。私自身もまだまだ知らないことがたくさんあります。必死でついていくしかありませんが、良く言えば人間の知恵というものは、すごいということと、反面、時代についていけない人とのギャップがどんどんと広がっていく時代となってしまいました。

 〔海鯱〕
プログの世界では、本名ではなく、ハンドルネームといって、ニックネームを使います。興味のある方。すでにミクシィに登録されている方は、直接ご覧ください。
又、なんとか見たいという方は、
私にメール下さい。
101,2007年11月4日(
 お会式と七五三参り


参詣されたご家族の皆さんと記念撮影
子安鬼子母神様に発育増進をご祈念申し上げ、今日まで無事育ったことを、御本仏様に感謝申し上げました。
11月1日、53年ぶりに、中日ドラゴンズが日本一になりました。当然ながら地元ということで、いろんな場所で話題にもなりました。デパートやスーパーも”日本一セール”とかで、かなり賑わっていたようです。53年ぶりというのは、私は母のお腹にいる頃(6ヵ月頃)のことで、以来達成していなかったということは、やはり長かったのかと思います。
あわや完全試合になるかというところだったですのが、最後は岩瀬投手が抑えて、山井投手と二人で達成しました。試合終了直後から、「なんで山井投手に投げさせなかったのか」と賛否両論でしたが、今朝の新聞では、本人(山井投手)が、「5~6回位から手の豆が潰れて投げるのが精一杯でした。でも、その件はもういいでしょう」と記事にありました。真相は別にして、勝てば官軍負ければ云々という、ことわざ通り、やはり結果の世界です。当事者さえ納得してればいいことなのでしょう。第三者がどうこう言うことではないと思います。

本日は、午前中、日蓮大聖人のご入滅お会式と盛運祈願会を営みました。今日は、お話よりもビデオ観賞と思い、日蓮宗制作の「なべかむり日親上人」を上映しました。
毎月、法要後は法話を行いますが、その時は、子供たちや介添えを必要とする子供の親御さんは、先にお斎(おとき・食事のこと)を食べて頂くのですが、今日は、子供も多かったのですが、誰も本堂から下りてきませんでした。ん~やはり話よりビデオか・・・と思いました。
大きなスクリーンで、しかも本堂で映画が見れるなんて、以前も時々行っていましたが、近年はなかったので、意外と新鮮だったかもしれません。内容も、まずまずで残酷なシーンもありましたが、それはそれで記憶に残ります。年配のご婦人は感動で涙して下りてこられました。まずは、子供たちの印象に残ることが大切なことなのです。

午後から、七五三参りのご祈願を行い、5名の子供さんたちの発育増進と感謝の御祈祷を行いました。毎年、11月の第一日曜日を、七五三参りの日として行っていますが、この七五三参りだけは、親がどうするかに関わっています。私は強制的にしなさいとは言いません。あくまで「親」の意志です。こういうことは、さまざまな面でも言えます。いくら自分(子供が)で望んでも出来ないこと、手に入らないこと、叶わないこと、すべては関わる親の価値観によります。特に幼い子供にとっては、親の思い通りに動くしかありません。それが良いことでも、そうでないことでもです。しかし、とても厳しい言い方をすれば、それも今生、親子互いに契を結び、覚悟の上で生まれてきたのです。そういう環境で人生の経験を積み体験するということでもあるのです。
 こうして尊き仏縁に触れられている人は、是非、その子に尊き体験を、より多くさせて頂きたく思います。どんなに美味しい料理を作っても、最良の薬をお出ししても服用して頂かなくては、全く意味がありません。是非、手にとって味わって下さい。そして多くの人にも味あわせて下さい。


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お斎(おとき)昼食にお出しした弁当。家族とお手伝いの人、檀家の娘さんが今日の為に作ったデザートが入った全部手作りです。